快体健歩RC net topic vol.10 (2020.5.26) 市民ランナーの脆さと逞しさ

快体健歩RC net topic vol.10 (2020.5.26)

快体健歩ランニングクラブ代表 佐々木誠

市民ランナーの脆さと逞しさ

前々回、走る理由は、時や環境とともに変化する生活や身体、心の影響を受けて、混ざり合ったり単純になったりして定まらない。ということを述べました。

そんな中でも、「がっちり定まっているように見える人」もいれば「コロコロ変わっているように見える人」もいます。もちろんこれはどちらが良いとか悪いとかが問われるものではありません。
しかしながら、「なぜ走る?」を受けて「いかに走るか?」が導かれるとすれば、「こんな走りがしたい」ということが具体的になるほど、走る理由はブレない方が望ましいことになります。「速くなりたい」のであれば、ランニングはほぼトレーニングということになるでしょう。さらに、「いつまでに」とか「どれくらい」とか、理由と目標が具体的になればなるほど有効で精密なトレーニング計画、メニューが導かれます。

いわゆる、社会的にアスリートと呼ばれるランナーはこのタイプに当てはまります。体育会で長距離を行っている学生は、学業もしなければなりませんが人生の中で「時間や体力などの多くを競技力向上に捧げ、将来にもつながる時期」と思い、トレーニングを中心とした生活をおくります。さらには人間関係にまで影響します。本人の思惑に関係なく「選手として」の気くばりがあるでしょうし、家族や恋人、知人、ファンとの間には、応援や期待とそれに応えるという関係性が生まれます。
その学生が卒業して、実業団やプロのランナーになったとしたら、さらに家庭を持ったとしてらどうでしょう?親としての役割を担うための時間やお金、責任などが増える分、トレーニングにかける質量は少なくなるかもしれませんが、家族の笑顔がより大きな支えとなってモチベーションが上がったり、メンタル面で強くなったりすることもあるでしょう。

さて、私たちいわゆる市民ランナーは陸上部に所属するランナーやプロのランナーと違います。
一番の違いは、走ること以外に考えること、やること、それらに費やす時間が多いことです。さらに、自分自身はもちろんのこと、家族や仕事などに起こるいろいろな出来事が、走る機会や場所、時間、予算等に影響を及ぼします。パンデミックや大震災、家族の死別などは五輪アスリートでも選手活動に大きく影響しますが、市民ランナーの場合は日常の中にそれらの種が幾つも潜んでいるのです。
ポジティブな方に影響すればよいのですが、大きな一つの出来事や、いくつかの出来事の繋がり、小さな出来事の積み重なりが原因で、いつしか走らなくなってしまう――そんなことが誰にも起こり得るのです。これが市民ランナーの脆さといえます。
走ることを辞めるまでにはいたらないものの、予期せぬことや天候不良、何かの誘惑に負けたりしてトレーニングをやれない(やらない?)ことがないでしょうか。これも脆さの一つの表れといえます。

逆に、人生と日常のさまざまな変化に揉まれながらも、器用にランニングスタイルを変えたり、上手に休んで復帰したりして走っている人もいるでしょうし、不器用そうに見えるかもしれませんが細かいことにこだわらず、淡々と、あるいは黙々と走り続けている人もいるでしょう。それぞれのランニングスタイル、個性ですね。地球一周分走ったり、何歳になっても勝ちたいと闘争心を燃やしたり、毎回がんばりながらも同じような結果に飲んで笑ってはまた次に向かったり・・・。こうしたランナーの姿は逞しいと感じます。
さらに、市民ランナーの中でもアスリートモードの強い人の中には、こまごまとした日常のやりくりの中で工夫しながらモチベーションとトレーニングパフォーマンスを維持しているランナーもいます。市民ランナーの難しさは、選手兼、コーチ兼、トレーナー兼、マネージャーであることと思うのですが、それを一人で上手にこなしているわけですから素晴らしいですね。レベルに関係なくカッコイイです。

仮に、「速いを良し」とするならば、二つを較べて優劣が明らかになりますが、走る逞しさの優劣はどうでしょう?
「わんぱくでもいい、逞しく走ってほしい。」